意外とよく知られていないのが、彼岸について。
2017年春の彼岸の入りはいつかご存知でしょうか?
彼岸の入りがあるということは、彼岸の明けもあります。
彼岸というと秋しかないと思っている方も多いのですが、春にも彼岸があるのです。
春でも秋でも、彼岸は7日間あることも、ご存知でしたでしょうか?
今回は、彼岸の入り、中日、明けのスケジュールと彼岸の過ごし方について解説します。
さらに、彼岸と宇宙、彼岸と宗教との壮大な関係や、彼岸にまつわる言葉についてご紹介します。
春の彼岸の期間
彼岸は雑節にあたります。
雑節というのは、季節の移り変わりを反映した節目の期間のこと。
冬と春の変わり目には、春分の日。
夏と秋の変わり目には秋分の日があります。
これらの日を中日として、前後3日間をあわせた7日間が彼岸にあたるのです。
2017年では、
3月17日:春の彼岸入り
3月20日:中日(春分の日)
3月23日:彼岸明け
というスケジュールになっています。
彼岸の正しい過ごし方は?
彼岸だからといって決まりごとはありませんが、先祖を供養し、家族に感謝する期間にしたいですね。
彼岸の期間のどこかのタイミングでお墓参りをするとよいでしょう。
彼岸入りしたら、仏具や仏壇を磨いたり、お墓を掃除したりしてお清めをしましょう。
春の彼岸はぼたもち、秋の彼岸はおはぎをお供えしましょう。
彼岸は宇宙と関係している
これらの日がどうして季節の移り変わりを表しているのか不思議ですが、これは宇宙のメカニズムによるものです。
地球を中心として天体の動きを球に見立てた天球を考えます。
地球は太陽を回っていますが、地球を中心として考えるのです。
すると、天球の表面に円を描くことができます。
天球には、こうしてできる横道と呼ばれる円と、天の赤道と呼ばれる円が存在します。
これら横道と天の赤道が交わる点は、2つ。
横道が南から北へ交わるものが春分点。北から南へ交わるのは秋分点と呼ばれます。
太陽が春分点を通過すると春分、秋分店を通過すると秋分になるのです。
ということですので現在、春分の日と秋分の日は、宇宙を観測している国立天文台によって決められています。
彼岸にまつわる言葉たち
彼岸の語源は?
サンスクリット語のパーラムが、彼岸にあたります。
彼岸に到ったことを、サンスクリット語ではパーラミターといいます。
仏教では「波羅蜜」と書きます。
パーラミター、つまり彼岸に到達することは、「煩悩の川の向こう岸に存在する悟りの世界に到達する」ということを意味しているのです。
浄土思想では、悟りの世界や幸せにみちた涅槃の世界のことを、極楽浄土と呼びます。
つまり彼岸とは、極楽浄土に行くことなのですね。
また、彼岸は日願(ひがん)でもあります。
だじゃれのようはありますが、春分と秋分は、太陽の動きとしてはとてもレアな期間ですので、太陽信仰にとっては大切な期間となります。
ですので、もともとは原始宗教である太陽信仰がこの期間を大切にしていて、後から浄土思想がこの期間を「彼岸」に定めたとも考えられています。
暑さ寒さも彼岸まで
「暑さ寒さも彼岸まで」というのは、春の彼岸が明けると残寒もなくなり、秋の彼岸が過ぎれば残暑もなくなるという意味です。
さきほど述べましたように、春分も秋分も、太陽の動きと関係しています。
ですので、季節の変わり目に対応します。だからこそ雑節として定められているのです。
春分の日は寒い冬から春、秋分の日は暑い夏から秋への節目ですので、暑さ寒さも彼岸までというのです。
彼岸は季語?
じつは、俳句では彼岸は春の季語になっています。
正岡子規の句に、
毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規
というのがあります。
これは、子規の母の言葉をそのまま句にしたもので、前置きに「母の詞自ら句になりて」と記されています。
彼岸の明けは暖かくなり、彼岸の入りだとまだまだ残寒が残るという正岡子規の母の体験が、そのまま俳句になっているのです。
ほかにも、
ほろほろと椿こぼるゝ彼岸哉 正岡子規
という句があります。
冬の花である椿が彼岸になると暖かくなり始め、椿もほろほろと落ち始めて春を感じさせてくれる情景が浮かびますね。
なぜ「ぼたもち」と「おはぎ」?
春の彼岸には「ぼたもち」、秋の彼岸には「おはぎ」をお供えします。
じつは「ぼたもち」も「おはぎ」も、まったく同じお餅のお菓子です。
春に咲く牡丹(ぼたん)、秋に咲く萩(はぎ)の名前をつけているので春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」なのです。洒落が効いていますね。
まとめ
春の彼岸は、春の訪れをお知らせしてくれる雑節です。
彼岸入りしたら、仏具をお清めしてお墓参りしましょう。
毎年必ずくる彼岸ですので、彼岸にまつわる様々な言葉があります。
宇宙のロマンとわびさびの世界が彼岸にはたくさんつまっています。
彼岸の過ごし方として本当に大切なことは、宇宙や神仏、ご先祖様に感謝して過ごすことです。